2010.02.14 Sunday
現代語訳『論語と算盤』
ここのところ、守屋さんの執筆量はものすごいですね。守屋さんは豪邸にお住いですが、執筆業で子どもを育てるということはこういうことなのか!と反省ですね。というのはどうでもいいとして(笑。
この1冊、守屋淳さんとしての新境地ですね。なるほど、渋沢栄一の現代語訳ですか。私が渋沢栄一を知ったのは、実は、荒俣宏さんの『帝都物語』でした。それまで明治の日本に現代につながる産業を創った偉人が居たとは知りませんでした。 で、個人的には密かに目標としている人物です(笑。 ちなみに、渋沢栄一って誰?という方は こちら を。日本資本主義の父、ということで、フロイト的に言うと、こいつを何とかしない限り、日本の未来はないわけですね。 一方で、最近、現代の日本政治の崩壊を見つつ、テーマとして考えていることは、どうやら、日本人がきちんと人を育てていたのは、実は、江戸時代までではないか、ということです。 どうも明治時代から、日本はおかしくなっているのではないか。そんなことをつらつら考え、いろいろ文献を探していたところでした。 というわけで、とてもタイムリー(笑。 で、内容ですが、巻末の「渋沢栄一小伝」がとても良いですね。ここを読んでから、内容をぱらぱらと読むと良いかと思います。論語もそうですが、昔の本というのは、どうも最初から最後まで読み通すというよりは、常に手元に置いておいて、必要なときに必要な箇所を読む、という読み方をしていたようです。ということで、この本もそんな風に読みました。 それで思ったこと。 渋沢栄一は論語と算盤ということで、商業の世界にも道徳が必要と説いた。いや、しかし、実際、今は両方ないなーと思った。 例えば、そもそも銀行に入っている人が本当に高等数学とか応用経済学とか修めているんだろうか? とてもそうは思えないし、入社試験がそうなっているという話も聞いた事が無い。ましてや算盤なんて。。。 前にあるところで聞いたのは、昔の寺子屋で教えていた「読み書き算盤」というのは、「読解力と表現力と論理的思考力」だった、というお話。もちろん、読解力には人の話を聞く、ということも含まれるし、表現力には言葉を知っているということが含まれるし、論理的思考力には、数字で推量する能力も含まれているわけ。 この基本的な能力すら、どうやら日本では身につかない教育を、教育と称してやってきた。このことは戦後からかもしれないけれど、どうかな。このあたりはもう少し明治の制度を調べないとわかんない。 過去の探索はさておき、現代の日本。今後、日本という国がなくなっちゃうことも考えると、グローバル化した世界でも通用する「読み書き算盤」という基礎能力。未来を担う子ども達に身につけさせてやりたいなぁ、そんな風に思ったのでした。 それはもちろん、まずは、自分も、ですけどね。 論語だけを強調するのではなく、「論語と算盤」としているあたり、また、内容を読んでも、そのバランス感覚はさすがだな、と思いました。渋沢自身は、これを「智・情・意」のどれもが必要、という言い方をしています。この考えに出会えただけでも、この本を読んだ意味がありました。ありがとうございます。 ちなみに、 智:知恵、物事を見分ける能力 情:情愛、バランスを保ち、人生の問題に円満な解決を与えてくれる 意:意志、精神活動の大本 とのこと。これらをバランス良く成長させることが大事、というわけ。これ、今後、「教育」というものを根本から変えていこうと考えている自分としては、忘れてはいけない言葉だなーと思ったのでした。 |